hitoromo's blog

2013年交通事故でまさかの未亡人に。頑張ることはせず、日常に苦しみながら、悩みながら、悲しみと共に、幼い子ども二人とゆっくり生きています。夫はいつもそばに、、、そばにいてね。

三年たった命日

先日、三度目の命日でした。

 

三年たちました。

 

自分としては、

迫られる恐怖感というか吐き気的なものは

昨年よりはマシでした。

 

子ども達にやつあたりするような

イライラも当日はありませんでした。

 

前日から

頭痛と右耳が痛いのがなぜかあって、

当日も続いて

翌日やっと治まる・・・

ってことで

体は正直でしたが。

 

痛みとだるさに

前日当日は横になることが多かったです。

 

心配してくれた実母が、

世話を焼く為来てくれました。

 

子どもたちは大喜びでした。

 

線香をあげるため、

誰かがくるだろうか

といちいち心配するのが

一番疲れました。

 

ずっと家に閉じこもっていなければいけない、

誰か来た時は、しんみりと話さなければいけない、

私は今どんな姿でいるのが良いのか分からず

ただ嫌な日々でした。

 

そんな留守にできない状態を、

実母のおかげで

長子をいつも通りに幼稚園に連れていったり、

と打破できたことには感謝です。

 

 

いつも来てくれていた友人は

何人かきませんでした。

 

夫を想えば少し寂しいけれど、それでいい。

 

義兄弟でさえ

一人しか来なかったんだから。

 

でも、それでいい。私は。

 

勢ぞろいで来られても苦しいだけだし。

 

 

 

・・・

今年は、当日の朝に

次子と事故現場に行きました。

 

花を少しだけと

線香を持って。

 

もう、去年まであった

花立も無く、

何もない

誰も来ていない

その場所に

花を置きました。

 

義家族も

犯人も

来ていないだろう。

 

私は、

無心で

痛みも悲しみも感じることなく

淡々とこなして

次子と帰りました。

 

「ここには来ないで。家に帰って来てね。」

それだけ呟いて、

青空の道を帰りました。

 

 

・・・

そして

あの、

あの時刻になる前には、

晩御飯のために

炒めていた玉ねぎの火を止めて、

長子を抱いて

夫の遺影の前に座りました。

 

しばらく静かな時間。

 

涙は流れません。

 

実母が代わりにグズグズするから

私は泣けませんでした。

 

その時は、

帰れ!一人にしてくれ!

と本気で思いましたが

実母の思いもあるだろうからと

黙っていました。

 

その夜、

長子が急に高熱を出したので

インフルエンザを心配して、

実母を強引に帰らせました。

 

さみしくても

かなしくても

我が家は

私が守っていくのだから、

甘えを切らなきゃ生きていけない、

生きにくい、

だから

・・・。

 

 

そろそろ

私の遺書を書きなおさなければ。