hitoromo's blog

2013年交通事故でまさかの未亡人に。頑張ることはせず、日常に苦しみながら、悩みながら、悲しみと共に、幼い子ども二人とゆっくり生きています。夫はいつもそばに、、、そばにいてね。

しばらく

急きょ、仕事を始めました!

 

気持ちも、お金も、全く必要な時ではなかったのですが

子どもの為に生きている私に、

色々考えた結果そのタイミングだったので

始めることにしました。

 

家のことがおろそかになる心配もあり、

家事は手抜きをすることにしました。

 

食洗器も買いました。

その為の水道の工事(分岐水栓取り付け)も

自分ですることにしました。

これは夫に習って、ネットで最安値を探して購入。

 

自分でできることは

自分でする。

 

できたら夫に褒めてほしい。

 

 

子ども二人抱えて、

生活も荒れ果てるかもしれません。

 

ただ、とりあえず

三月までの期限つきなので

さみしいとか

苦しいとか

負の気持ちを忘れるくらい

忙しくなってみようと思います。

 

 

最近は

更新もままならないブログでしたが、

しばらくお休みします。

 

また

吐き出すことがあったら

書きます。

 

 

休日に一歩、が

合鍵を持っている義父が

平日・土曜は勝手に家に入るので

家を留守にするときは気を遣います。

 

いつも、

子ども達のお迎えに行く時間に来るので

直接会うことはありませんが、

来たことは分かるので

(子ども用におやつをくれている)

孫に会わせてやっていない自分に

罪悪感を感じます。

夫にもゴメンと思います。

 

夫の親を大事にしてないよね、って。

まあ、夫も今となれば私の親に何もしてないから

おあいこなんですけど。

 

そんなことですけど、

私は義父に会いたくないから

土曜に幼稚園がお休みでも家にいたくなくて

幼稚園のママたち経由でイベントがあったら

出かけるようにしています。

(でも、近所の人に会いそうな場所は除外してきました)

 

私の過去を知らないけど、

今の我が家を受け入れてくれる仲間がいるなら

動けるようになりましたので。

 

その調子で、

今まで避けていた近所での室内イベントに

思い切って行ってみました。

 

それはアマチュアオーケストラで、

未就学児もオッケーな

小さなホールでの会でした。

 

子ども達も友達に会えたり、

本物の楽器を触って嬉しそう。

子どもが良いならば、私も嬉しい。

 

と、笑っているところに、

元職場の上司が通りかかり

ばっちり目があってしまいました。

 

お互いに2秒くらい「?」な感じでしたが、

私が会釈すると、元上司も「おお!」という顔で

笑ながら手を振られました。

 

・・・どうでもいいけど、会いたくなかったな。

「hitoromoさん、元気そうでしたよ~」なんて

次の日の話題になってるんだろうな。。。

まあ、関係ないことだけど。

 

見た目は元気にならざる負えなくて

確かに元気そうになりましたよ。

 

夜は眠るようになったので、顔色もマシになりましたよ。

 

でも今も、これからもずっと、

大概の人が知らない感情をもったまま

生きていくんですよ。

それを知らないのが、羨ましい。

 

この「辛い」で片づけられないことが

生きづらさにつながっていること。

 

生きたくもないのに、と生きていること。

 

 

 

長距離運転

9月は、私のできることが増えた月でした。

もうやればできるもんです。

 

同じ交通被害者遺族と

お会いすることができました。

 

お会いするために、

約500キロの道のりを

なんと車で移動できたのです。

 

疲れとかよりも

お会いできること、

また

それによって私の心が救われたこと、

それが大きくてやり切れました。

 

我が家と近い境遇で、

不謹慎なのでしょうが

私は一人じゃないんだという気持ちになり

本当に本当に会って良かった!

と思いました。

 

人には絶対に言えない愚痴も

お金の話も

気兼ねなく言えましたし、

(酔っ払いでちゃんと話せていたかはどうかだけど)

私だけでは子ども達を

普段連れていけないようなところにも

みんなで一緒に行けました。

 

次もきっと会おうと

約束しておわかれしました。

 

もっともっと

お酒を飲みながら

話し込みたいことはあったけれど、

時間もなくて

子ども達はホームシックになっちゃうし

帰りました。

 

何時間もかかったので、

さすがに体が疲れて

そのまま気持ちにも波が・・・

半月かけてうねうねうねうね・・・

やっと体調を戻して

最近

気分も平常に戻ってきました。

 

体調管理は大事・・・改めて反省。

 

 

 

Y家に感謝!

死別シングルマザーの遺書

               遺言書

 

第一条 遺言者は、遺言者の有する預貯金、不動産、その他一切の財産を

    長女〇〇〇〇〇(平成〇年〇月〇日生)と

    長男〇〇〇〇〇(平成〇年〇月〇日生)に相続させる。

 

第二条 遺言者は、未成年である長女〇〇〇〇〇(平成〇年〇月〇日生)と

    長男〇〇〇〇〇(平成〇年〇月〇日生)の未成年後見人として

    次の者を指定する。

    本籍 〇県〇市〇町〇〇

    住所 〇県〇市〇町〇

    会社員 〇〇〇〇 (昭和〇年〇月〇日生)

 

第三条 遺言者は、この遺言の遺言執行者として下記の者を指定する。

      記

    〇県〇市〇町〇

    弁護士 〇〇〇〇〇

        昭和〇年〇月〇日生

 

 

平成〇年〇月〇日

        住所 〇県〇市〇町〇〇

              遺言者 〇〇〇〇  

 

 

 

・・・

(自筆遺言書の場合はすべて手書きです)

・・・

考えた結果、内容はシンプルになりました。

相続権は、子ども二人だけで

今はその点は争うことがないだろうし

(子どもが成人したら財産の分け方も記載していきたい)

一番に、実父に子どもたちをお願いしたいので

それさえ実行できればいいか、、、

ということで

銀行口座とか不動産登記番号とか

親切に書いておいてもいいらしいですが、

我が家はこうしました。

 

成年後見人になったら、

家庭裁判所で手続きがあったり

財産を動かすにも

毎年家庭裁判所に申告報告の義務があるそうなので

実父が急にボケて財産の無心をする・・・

という心配はほぼなくなりました。

 

ボケる年齢ではないのですが、

私がもう少し生きていたら、

毎年遺書も書き直して、

実父の様子で考えて行きたいです。

 

 

公正証書にするには

証人ふたり(友人など)と

二万円ほどのお金が必要らしいです。

私が

自筆遺言書にしたのは

手軽さ。

それと、友人の弁護士に預けるので

私の死後は適切に対処してくれるだろう

ということで。

 

最後の自分の名前の横には

もちろん押印が必要です。

封筒に入れて、封をします。

その封筒の中に、子ども達への手紙も入れます。

 

 

私が・・・

子ども達が成人するまで、

数年後、

来年、

来月、来週、明日、今日、

数分後、、、、

いつ息絶えるかわかりません。

 

残してしまう子どもたちに最後にできることは

こんなこと。

 

早く弁護士に郵送、郵送。

労働基準監督署

労災の手続き上、

本人(遺族)との面会が必要らしく

行ってきました。

 

前々から夫の職場の方から

連絡を頂いていたのですが、

気が重い。

 

そこは、

相続の関係で子どもと共に行ったことのある

建物と同じでした。

 

あれから二年はたっています。

 

思い出しても暗くなるだけ、、、

と気を取り直して向かいました。

 

内容は

労災についての説明やら、

結局支払いは停止、とか

書類を書かされただけでした。

 

淡々とハンコを押して。

 

途中、

「お気を害されるかもしれませんが、

失礼します。

再婚や内縁関係がある場合は

奥さんは失効になるので連絡してくださいね。」

と言われました。

 

気を使って言っているのは分かるけど、

説明の義務としてのはずだけれど

・・・

こんなこと言われなきゃいけないなんて

・・・

とても複雑な気持ちでした。

 

私は薬指の結婚指輪を触りながら

ハイ

と返事をしました。

 

最後には、

「事故の時はお仕事は?」ときかれ

「下の子を産んですぐで、育休中でした。

復帰予定だったのですが、そのままやめてしまって・・・」

と目が熱くなってしまいました。

こんな説明をするのも

久しぶりだし、

つらさを思い出して

危なかったです。

 

一時間ほどで終わり、

必要書類がまだあるので

もう一度行くことになるのですが

しばらくは静かにいられそうです。

 

9月中には終わるようで。

 

なんだかんだと続いています。

 

色々としていただけるのは

本当に有難いことです。

 

もちろん

元は、

夫が仕事を頑張ってくれたおかげです。

 

〇〇くん

ありがとう。

子ども達は生きていけます。

 

あの日のメニュー

夏休みには、

子ども達と買い物へ行かなくてはいけない日も

もちろんありました。

 

必要ないものを買わされないように

さっさとしてしまいたいのが

母の気持ち。

 

何回も行くうちに、

子ども達も

普段は行かない

スーパーにやっと慣れてきて、

それなりにゆっくり行けるようになりました。

 

ある時、長子が

シチュー欲しい!

とシチューの素をカゴに入れました。

 

 

夫の帰りを待っていたあの日、

長子の好きなシチューを作っていました。

最後のシチュー、夫は食べられませんでした。

 

あの日から

私は一度もシチューを作っていません。

 

全てがフラッシュバックし、

ただ辛くなるだけ。

 

・・・

でも、

その買い物の日は

長子も絶対欲しい!と言い続けるし、

クラムチャウダーに変更の案も聞き入れませんでした。

 

そして

辛さより、

長子の望みが勝ちました。

 

その夜、

子ども達の分だけ

シチューを作りました。

 

私はまだ食べれそうにありません。

 

でも

子どもが食べる姿を見て、

辛いフラッシュバックは起こりませんでした。

 

夫も食べたいだろうな・・・

としんみりはしましたが。

 

シチューの味なんて忘れるくらい

時間がたてば

私の心も

今よりもっと

穏やかになるのでしょうか。

 

 

今年のお盆も形だけ

 お盆の為に準備をする・・・

 

お坊さんがお経を読みに来るので

掃除をする。

お金を準備する。

夫の遺影の周りを飾る。

花を沢山飾る。

 

お盆の間は外出せず、

いつ来るかもわからない義父、義兄弟を待つ。

 

連絡してほしいと伝えても、

丁度ひいばーちゃんの家に行っている時に

「もうすぐ」なんて電話がくる。

 

家から出られない。

 

そんな毎年のお盆。

 

今年もしっくりきてません。

 

何の為にするのか・・・。

 

誰のためにするのか。

 

夫の魂はお盆にしか帰ってこないの??

 

いつもそばにはいないの??

 

飾らなきゃ帰ってこれないの?

 

迎え火をしないと帰ってこれないの??

 

 

夫のことを恋しく思うほど、

宗教感が消えていく。

 

無宗教でいいのに・・・

私は何に縛られているんだろう。